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映画脚本家/共同製作者のベリナ・ハス・ヒューストンはシナリオ作家やエ ッセイスト、そして詩人などと幅広く活動している国際的に称賛された劇作家である。彼女は コロンビア・ピクチャーズやPBS(公共放送サービス)、シドニー・ポワチエやLancitメディアに 執筆している。2006年には、彼女が共同製作し、ピーター・フォンダがナレーターをしたドキ ュメンタリー映画(Desert Dreamers)がPBSで公開された。

ヒューストン教授は二つのアジア系アメリカ人ドラマの作品を発表している。彼女はアジア・ ソサエティやマンハッタン・シアター・クラブ、ロサンゼルス・オペラ、マーク・テイパー・フ ォーラム、そしてシルク・ロード・シアター・プロジェクト等の名高い機関から多数のコミッ ションを受けている。今まで受け取った多くの名誉と賞は、シドニー・ポワチエからのレミ ー・マーティン新映画脚本賞とアメリカン・フィルム・インスティチュート、日系米人歴史協 会における日系アメリカ人女性のメリット、そしてイースト・ウエスト・プレイヤーズ・メイ ド・イン・アメリカ・アウォード等である。

今までに書かれた約20以上ものオリジナルの戯曲は、ヒューストン教授自身の家族や多民族か らの経験を基に描かれている。ヒューストン教授の母方は日本人、父方がアフリカ・キュー バ・ネイティブアメリカン系である。彼女の戯曲は最優秀賞を二つ授与し、オフブロードウェ イで世界で初めて公演された。国際交流基金フェローシップ、ロックフェラー財団フェロー、 シドニー・F・ブロディ・フェロー、ジェイムズ・ズムベルジフェロー、カリフォルニア・アー ツ協議会フェローやロサンゼルス芸術基金フェローシップなども多数受賞。

現在ヒューストン教授はアメリカの日米友好基金の理事であり、日米交流財団や日米文化教育 交流会議のメンバー。全米脚本家組合、劇作家組合、ロサンゼルス脚本家組合の会員でもあ る。 南カリフォルニア大学演劇学部教授であり、UCLA/演劇・映画・テレビ・スクールで美術の修 士号を取得、カンザス州立大学ではジャーナリズム、マスコミュニケーション、演劇での文学 士も取得している。

 

ディレクター/プロデューサーのタマラ・ルパートはディレクター、プロデュ ーサー、そして演劇や映画の役者などで活躍している。舞台ではKomachi、A Thousand Cranes、The Fantasticks、Strike-Slip、ベリナ・ハス・ヒューストンの作品Kokoro(True Heart)、そしてワールド・プレミア・オブ・エクスティンクションなどで監督している。

ルパートはシャーロット・レパートリー・シアターでの”ピカソ・アット・ザ・ラパン・アジャ イル”、ブロードウェイでの”ファントム・オブ・オペラ/オペラ座の怪人”らの舞台裏で活動し た。
テレビ制作では、NBCでのパイロット番組 “マイライフ・アズ・アン・エクスペリメント (2011)”/ドランルド・サザーランド、パジェット・ブリュースター主演 マイケル・スピラー 監督、ナショナル・ジオグラフィックでのテレビシリーズ “マミー・ロード・ショー (2002)”、”シフト(1999)”/クリストファー・メローニ主演 ケリー・アンダーソン監督、などに 参加。映画では、ドキュメンタリー映画 “アメリカン・ポエッツ・ステイト・オブ・ザ・ユニ オン(2010)”/詩人ピーター・ケイン・ ドゥフォールト、俳優クリス・ノース、インデペンデ ント映画 “アラナ(2010)”、長編映画 “ザ・デイ・ザ・ポニーズ・カム・バック/ポニーが戻る日 (2000)”/ギヨーム・カネ主演 ジェリー・シャッツバーグ監督、長編映画 “18シェイズ・オブ・ ダスト(2001)” ダニー・アイエロ俳優 ダニー・アイエロ三世監督、に参加。更にルパートは長 編映画 “モイシュ、オールアメリカン”を共同製作しており、現在この映画はセプテンバーフィル ムズと共に製作準備中である。

ルパートは日本語を大学で学んだ後、15ヶ月程新潟に住み英語教師を勤めた。それ以来、日本 や日本文化に特別な親近感を持っている。2001年には北京からモンゴル内を抜け、チベット高 原を通過しエベレストのベースキャンプまで登りネパールのカトマンズまで下るなど、東南ア ジアやヨーロッパなどでも広く旅をしている。 大学で日本語を学んだ後、日本の文化に興味を持ち上陸、新潟で英語教師とし15ヶ月 教え、日本に対する親近感を覚え、さらなる異国文化に触れたく、2001年には、北 京、モンゴル、チベット高原、エベレスト山のベースキャンプからネパールのカトマン ズまで足を運び、数年後に南東アジアとヨーロッパへも旅行をした。

ルパートはロサンゼルスのニューヨーク・フィルム・アカデミーでデジタル映画製作を学び、 同様にニューヨークでもスクリプト管理や撮影用台本についてシャリ・カーペンターのもとで

 

学んだ。奨学金を受けた後、ニューヨークの演劇大学院 ニュー・スクール・フォー・ドラマに 通った。エリノア・レンフィールド、ケイシー・ビッグズ、オースティン・ペンデルトンやオリ ンピア・デュカキスからディレクティングを学んだ。2009年に卒業、ディレクティングにおけ る美術修士号を得た。2000年にはデビッドソン大学で演劇における文学士も取得している。

プロデューサーのキャット・ヨーエルはプロデューサーとして幾つかの賞を 受賞している。受賞した短編映画 “ポッターズ・フィールド”、”トゥ・レスト・イン・ピー ス”、”ブレス” や “エレベイテッド” でプロデューサーのクレジットタイトルを与えられている。 またこれらの受賞短編映画 “ミスチービアス・ケース・オブ・コーデリア・ボトキン” 、”アザ ー・チーク”、”ダディーズ・リトル・ガール”、”コンティニュイティ・オブ・パークス” ではディ レクティングとライティングの両方のクレジットタイトルを与えられた。

ヨーエルは一人っ子でフロリダ州オーランドで学校に通わず自宅学習だったため、TCMでクラ シック映画を観て、映画に魅了され始めていた。映画は彼女に取ってただのエンターテイメン トではなく、外の世界への窓口であり、彼女独自の世界観を作り、執筆と演技に鼓舞されてい る。 ノースカロライナ州シャーロットにある、小さいが名門の文芸学で知られるデビッドソン大学 に通う為、彼女の故地であるカロライナに戻った。在学中はいくつかの学生組織に深く関与し た。語り手として、ヨーエルはあまり知られていないであろう実在の人物(特に強い女性)を見出 す事が大好きである。

ヨーエルはイギリスのケンブリッジ大学やオーストラリアのブリスベン近郊のグリフィス大学 など国際的に映画を学んだ。デビッドソン大学では文学士を取得し、英語では最優等で卒業。 南カリフォルニア大学のスクール・オブ・シネマティック・アーツではプロデュースした3つの 映画が受賞、最近プロダクションプログラムにて卒業した。

 

プロデューサーのブラッド・クロウは優秀な映画で多数の奨学金や様々な 国際映画祭から多くの賞を得ている。受賞した短編映画 “ポッターズ・フィールド”や “ミスチー ビアス・ケース・オブ・コーデリア・ボトキン” 、”トゥ・レスト・イン・ピー ス”、”F.U.B.A.R.”、”ロスト・ジャーナル・オブ・バイス・マルソー”では製作に携わった。

クロウはパイロットとフライトアテンダントの息子で、シンガポールで育ち、幼いうちから演 劇や音楽、政治の世界に触れた。熱心な俳優、ディレクター、プロデューサー、そしてミュー ジシャンでもあるクロウはアートにおける社会意識の重要性を即座に学ぶ事が出来た。世界 転々と移り住んだグローバルな生い立ちの為、唯一の故郷が無い。従ってクロウの作品はブラ ックユーモアに満ち、特殊な家族や文化的部外者、またアメリカ社会生活のユニークな部分な どを主題として着目する事が多い。

カナダのブリティッシュコロンビア大学を全額奨学金でフィルムプロダクションと映画研究の 複数専攻し、文学士を得て終了。フィルムプロダクションにおける美術の修士号は南カリフォ ルニア大学のシネマティック・アーツ名門校にて修了。同大学在学中クロウはショートフィル ムで複数受賞しており、フィルムの優秀賞でトーマス・B・ブッシュ記念奨学金とアルバート・ R・ブロッコリ奨学金を授与された。